22日(火)韓国で父のお葬式

父が亡くなって9日が過ぎました。

4月13日、ソウルで桜が満開だったときに。
お花見に行かなくてもマンションの前や病院の周りに桜がたくさん咲いていました。

少し落ち着いてきたので久しぶりに長いブログを書きたいと思います。
父のお葬式で学んだ韓国の葬儀文化や、感じたことについても…。

父が亡くなる一週間前も、病院に行ったり、仕事をしたり、バタバタしていましたが、

母のおかげで、ごはんはちゃんと食べていました。

夜、病院から帰り道に寄った韓国料理屋さんで母は焼き鯖を。

私はタコビビンパを食べました。以前、友達と行ったこちらのお店です。
こんな状況の中でも習慣的にお料理の写真を撮りました。

私がソウルに来る前に父の余命が2ヶ月くらいと聞きましたが、日々急激に悪化していきました。
母はお墓をどうするか悩んでいました。
公州(공주)にお墓がありますが、ソウルから遠いし、私達姉妹が管理できないと心配していたので、

ソウルから近い一山(일산)にある樹木葬の墓地を見に行きました。
一山には母側の親戚がたくさん住んでいるので、叔父さんがいろいろ調べてくれました。

叔父さんの家で話を。お祖父さんが住んでいた家なので懐かしい。

母は父とそれほど仲が良くなかったので、同じお墓に入りたくない気持ちもあったようですが、一山にある樹木葬の墓地が気に入ったみたいで自分もここにしようかなと言いました。
別々だと私達が苦労するという叔父さんのツッコミも効いたかもしれません。。

お墓を見たあと、母の姉夫婦も来て一緒にごはんを食べました。
鰻屋さんをやっていた伯母さんです。
うなぎと海鮮鍋メウンタン。韓国の伯母のお店で食べた最後の食事

葉野菜で巻いて食べるサムパプの店(쌈밥집)でしたが、お肉はサムギョプサムでした。

父が病室にいるのに、サムギョプサムを巻いて食べることに罪悪感を感じました。

たくさん置いてあるおかずの中に、この前レシピを紹介したカッキムチ(갓김치)がありました。
私が写真を撮るのを見て、伯母さんが「ハサミで切っちゃってごめんね」と優しい言葉を。

ごはんを食べたあと、みんなで車に乗って1時間くらいかけて父のいるソウルの病院へ。
意識がほぼない父に、伯母さんと叔父さんは最後の挨拶をしました。

病室の外は、温かい春の風に桜。平和そのもの。

仕事がない土曜はずっと病院に。父の痩せた足と手をマッサージしてあげました。
酸素マスクをつけた父に声をかけてみると、「うん」と言っているような言ってないような…
母の希望で、カトリックの方々を呼んで代洗という洗礼を受ける儀式もしました。

その日の夜、病院から危篤という連絡が来て、急いで病院へ。
涙を流しながら、父と最後の挨拶を交わしました。
父のお葬式で学んだ韓国の葬儀文化

韓国の葬式は、基本3日間です(3일장)
亡くなった日と翌日の2日間は、お通夜として弔問客が来ます。

弔問客は、日本より幅広い範囲で親戚と知人が来ます。
姉の会社からもたくさん来たので、合わせて300人くらい来ました。

葬式場(장례식장)は、病院についていることが多いです。
地下にあることが多いけど、父の葬式場は地上2階だったし、窓から桜も見えて良かったです。
きっと父も喜んでいたはず。

外には、화환という花がたくさん。
隣の葬式場に届いた花が多くて、びっくりしました。

日本のお葬式にはまだ行ったことがないからよく知りませんが、ご遺体も葬儀の場に置くと夫から聞きました。
韓国は、弔問客が挨拶するここではなく、別のところにいます。

黒い改良韓服(男性はスーツ)を着た姉夫婦と私と夫、
弔問客の服装は、地味な色の普段着で大丈夫です。
弔問客が故人に向かって韓国式のクンジョル(큰절、膝をついて手と頭を重ねて床につけるお辞儀)を2回した後、喪主の私達と一緒に改めてクンジョルを1回します。
キリスト教で頭を下げて挨拶する弔問客には、私達も同じく頭を下げて挨拶します。
弔問客の涙に、何回ももらい泣きしました。

入棺式(입관식)という儀式がお通夜中にあったので、家族のみ参加しました。
棺の中に眠っている父を見ました。最後に見る父の姿。頬が冷たかったですが、安らかな表情をしていました。
入館式が終わったあと、女性は髪に白いリボンをつけて、男性は線が入った白いものを腕につけました。
韓国ドラマを見てる方はご存知かもしれませんが、私もつけるタイミングを今回初めて知りました。

弔問客が多いから、食事の準備も大変そうでしたが、韓国には상조회(相助会)などお葬式を最初から最後まで手伝ってくれるシステムがあるから思ったより楽でした。
母の時代は、材料も全部自ら用意しないといけなかったから大変だったらしいですが…

お料理は、基本、韓国料理でした。
ジョン(チヂミ)やキムチ、ポッサムの煮豚など各種おかずに、ユッケジャンスープとごはん、そしてお餅。

ミョルチポックムが特に美味しくて評判でした。
昨日はいとこのお義父さんが亡くなったので、お葬式にまた行ってきましたが、ほぼ同じおかずの献立でした。

昔は葬式場の中で寝ながら弔問客を受け入れていましたが、最近は夜は弔問客が来ないから、夜12時頃に家に帰って寝ました。
1日目の夜、日本から夫が来たから、2日目は一緒にお通夜を。

そして迎えた3日目の朝。
お通夜のあった2日間は雨でしたが、この日は晴れました。

雨上がりの青空の下で、親戚と一緒に火葬場へ。
韓国も最近火葬をする人が90%以上です。どこも火葬場がいっぱいだから、3日間の葬式の後に空いているのが運がいいとか。
火葬場が空いてなく、お葬式を4日間するケースも増えているそうです。

火葬の流れを見た夫が、日本に比べて簡素化されていると言いました。
火葬の前に、父の顔も見せてくれませんでしたし、火葬の後もガラス越しでしか父の遺骨を見ることができませんでした。
遺骨を粉砕機に入れて粉にするのを見てこれは違うんじゃないかなと思いました。

だからなのか、父が火葬されている実感がさらに湧かなかった気がします…。
火葬場の隣に桜が綺麗に咲いていました。
私の好きなヒヨドリがいて、それがまるで父のように思えました。

火葬のあと、一山にある樹木葬の墓地へ。
粉になっている父を木の下に埋める時も全く実感が湧きませんでした。

その2日後には、삼우제(三虞祭)という儀式があったので、家族みんなでお墓参りに。

帰り道の車の中で。
一山はソウルより北だから、桜がまだ満開でした。

樹木葬の墓地の木につける父の写真を選ぶために、古いアルバムを開きました。

食べるのも、お料理を作って誰かにおもてなしするのも大好きだった父。
病室で意識がなくなる直前まで、知人と電話しながらあの食堂であれを食べましょうと話したり、
弟の奥さんに、亡くなった弟の名前を言いながら、一緒に家でごはんを食べようと話していたそうです。

若かった頃の父と母の写真も見ました。
12年のガン闘病で痩せた父の姿を忘れさせてくれました。

小学校の運動会で撮った父と母の写真が特にお気に入りです。
うちは子どもの時から喧嘩が多くて穏やかな家庭ではなかったけど、写真のように仲の良い時もあったはず。

1952年生まれ。何もない大変な時代に生まれて頑張ってくれた父に感謝しています。
何も親孝行できなかったことが申し訳なくて涙です。
父の笑顔、父からもらった愛を忘れずに生きていきたいと思います。
長くなりましたが、最後まで読んでくださってありがとうございます。
11日(金)ソウルで父の看病中に

父が病院に入院したので、急いでチケットを買って先週の日曜にソウルに来ました。

日曜のジンエアー。人生で初めて往復ではなく片道で購入しました。
片道1万3千しかしなかったです。
こんなに安いのに、なんで韓国にしょっちゅう行かなかったんだろうと後悔しました。

ジンエアーは大韓航空のLCCで、ソウルから釜山に行く時に一度乗ったことがありますが、
席もわりと広い感じで良かったです。

ソウルに行く前に、父とビデオ通話を2回しましたが、最初はほぼ会話ができず、最後にした時はほぼ目も開けられない父が映っていました。
もう父と話せないかもしれないと思って、人生で初めて父に「사랑해(愛してる)」と言いました。
そうしたら、父が「나도 사랑해(私も愛してる)」と言いました。

日曜に父の手を握って少し話せて安心しましたが、月曜からはまた急激に悪くなっていく一方です。

月曜の午前中に、ホスピス病院に父を移す手続きが終わってから、
病院の前にある冷麺屋さんで母とお昼ごはんを食べました。

刺身冷麺のフェネンミョン(회냉면)を食べました。
美味しかったですが、疲れているから、消化に良い水冷麺にすれば良かったなと思ったり。。

火曜以降は、朝と夜は父の病院で過ごして、
昼間は父の葬式の準備や会社の仕事をしていたから、あっという間に時間が流れました。

私が来る前から一週間くらい看病していた母は、前よりも痩せていて心配です。
カバンを置いてくるなど、うっかりも多くて…

作り置きおかずを出して適当にそのまま食べたり。
でも、私がいるから、このように用意して食べるわけで、母ひとりだったらもっと適当に済ましていたはずなのでその意味でも来てよかったと思いました。

急いできたから、韓国のWi-Fiポケットもまだ届いてなく、1日は姉のマンションで仕事をしました。
父のスマホで、Naverマップを見ながら向かいました。

姉のマンションに入る前に、キンパ屋さんに寄ってキンパを買いました。

お店の方が優ししそうな方だったので、キンパがきっと美味しいだろうと思い、2本を買いました。

午前中は、ツナキンパを。

午後中は、基本キンパを食べながら、仕事をしました。

美味しかったですが、疲れているからか、何を食べても消化がいまいちです。

仕事が終わって、父の病院へ。姉のマンションにも桜が綺麗でした。

看病人に頼まれたおむつを買いに、新村のEマートに寄りましたが、売ってなく。。韓国は普通のスーパーで売ってないのかな?とビックリ。
病院の前の薬局で売っていたのでそこで買いました。

韓国に着いた日曜からずっと曇りでしたが、昨日から少し晴れてきました。
冬の寒い中、体が痛くても、この公園で頑張って散歩していた父。

せめてこの桜だけ見て、、今の温かい季節を楽しんでからだったら良かったのに…
と、病室の中で息をするのも辛そうな父を見ながら残念に思います。
カライチさんのキムチや韓国料理の作り方をこのサイトでちょくちょく拝見してたのに、お父様の訃報に関しては見ておらずでした。。心からご冥福をお祈りします。
今回この記事を改めて拝見して、仕事に家事に看病にと、怒涛の毎日を送っていたカライチさんに心からエールを送りたいです。本当にお疲れ様でした。そして、すべてをちゃんとこなしてしまうカライチさんはすごい人だなと改めて感じました。
親孝行は、親孝行自体を100%やり切ることや、どれだけ親孝行したのかを測ることはとても難しいことだなと常日頃感じています。でも、子供目線ではなく、新米の親ながらに親目線で思うことは「親孝行をしようとしてくれること、親はそれだけで100%嬉しい」のではと感じています。カライチさんのお父様は十分親孝行してくれたと感じているのでは無いでしょうか。第三者の私から見てもとても親孝行されていると感じています。なので、親孝行はできたともっと胸を張っても良いのでは?と感じました。
また、折を見て、お父様との思い出話、聞かせてください。
余談ですが、この前知人にカライチさんのキムチの作り方を教えたら「簡単!早い!美味しい!天才なの?」と言われました。知人に「その旨、ご本人に伝えておくね 」と話しておいたので、今ここに記しておきます!笑
カライチさんが料理上手なのは、きっとお父様から受け継がれた才能ですね(^^)
>桃太郎の母親さん
ありがとうございます!
コメントを読んでいる途中で〇〇ちゃんの匂いがすると思い、お名前を確認したら、桃太郎と書いてある!それで確信しました(笑)
「親孝行をしようとしてくれること、親はそれだけで100%嬉しい」と聞いて気が楽になりました。
本人の前で親孝行をしようとする何かを見せたっけ…と思えてきて少し不安になりましたが、今の気持ちは届いていると信じたいです。
桃太郎の母親さんとは7年以上前に知り合いましたが、父が元気だった時に一緒に韓国に行けばよかったなと悔いも残ります。父も喜んで、焼肉屋さんなど色んなところにつれて行ったはずなのに…
桃太郎ちゃんの育児が落ち着いたら、今度こそソウルに行きましょうね!
キムチのお話も嬉しいです。
知り合いの方、褒めすぎ^^ でも励まされます。
ブログでお父様をずっと拝見していたので、私も寂しく思います。
お悔やみを申し上げます。
また、衒いのない文章に共感するところもあり、心を打たれました。
これからも更新楽しみにしてます。
>ちきんさん
ありがとうございます。
今まで父の写真をたくさんはアップしてないので、覚えてくださるだけでも嬉しいですが…
衒いのないという言葉を忘れてしまいましたが、いい言葉ですね。カムサハムニダ🙏
自分の表現力や日本語力を嘆きながら書きましたが、書いて良かったです。